なーのはらわた

発達障害持ちが悩んだり現実逃避したり

高校の話

私には、いわゆる自称進学校の先生の考え、雰囲気が合わなかった
周りの同級生の、そんな学校に対する愛が気持ち悪かった。
周りと話が合わない。
話していても、全く楽しくない。
会話の冗談の内容は、低レベルもいいとこだった。
 
 
学校にいるのが、本当につらかった。
通う意味を、本当に見出せなかった。
生徒全員がキチガイに見えた。
こちらから声をかければ反応はあるが、私の求めている反応は返ってこない。
初めはそれでも必死で声をかけたが、周りの反応は相変わらずで、途中からクラスメートと会話する意味を見出せなかった。
自分から声はかけなくとも、相手から声をかけられることは多々あったが、これがまたおもしろくなかった。
だんだんと反応の薄くなる私に、声をかける人間は、一年の後半には、幼なじみ以外にほとんどいなかった。
浮いたのは完全に私の自己責任だ。
しかしこれは本当に苦痛であった。
私は誰かと会話がしたかった。
が、幼なじみを除き、他の誰と会話をしても全く面白くないのだ。
会話をしたいが、しても面白くないから会話をしたくない、そんなジレンマ(?)に悩まされた。
 
中学の頃までは、誰とでも上手くやってこれた。
友達もかなり多い方だったと思う。
それに未だに小、中学生からの付き合いの連中とは、未だに関係が続いている。
どうして高校の連中とは気が合わなかったのか、これが本当にわからない。
高校の連中全員が全員悪かったということはないと思う。
が、私と関わった人間は、誰も合わなかった。
私から見て、本当にどうしようもない救いのない人間だらけだった。
 
 
授業は発達障害も相まって、本当にわかりづらかった。
授業がそんな風なので、私は授業中は自分で勉強をしてきた。
授業を聞いてもあまり内容が入ってこないことは、先生に何度も相談した。
理解してくれる先生もいた。
また、最後の最後まで理解してくれない先生もいた。
 
別に友達なんか必要ないと悟った私を、最後まで追い込んだのは、学年主任である英語の教師だった。
この英語の教師は、私が病んでいることは一切気にかけなかった。
私が授業を遅れていることを知りながらも、予習前提の内容を、授業中バンバン私に質問し、ただでさえ話さないから浮いているのに、更に授業中に勉強を遅れていることをクラスメートに公にするようなマネを行い、二年の習熟クラスの中で、更に私が浮くきっかけとなった。
 
これには悪意を感じた。
私は二年では、一年の担任の気遣いにより、理系の習熟クラスになんとか在籍させてもらった。
その中で明らかに周りより学力の劣っていることを、その英語の教師は公にしようと必死だったように思えるほどだった。
 
そんなこともあり、私はクラス替えがあった次の年も、良いスタートとはいかず、初めのうちからかなり浮いた状態でスタートすることになった。
 
ここらへんで、浮いていることに関しては、完全にどうでも良くなった。
そのおかげで、修学旅行は自分の思うままに活動できて、カナダで過ごした一週間は、高校生活における、最高の一週間となった。
 
そんなこんなで私は一年の夏に精神を病み、学校に通う意味を見出せなくなり、だらだらと通い続けるが、三年の十月に学年主任となった英語教師の嫌がらせ(?)にいよいよ堪えられなくなり、高校をやめた。
 
今は予備校に通いながら、大学進学を目指している。
高校さえやめるような人間に、大学なんか通えるのか、と、高校の先生によく言われました。
何事もやってみないとわからないので、私は挑戦してみようと思う。
 
 
私は決していじめられていたわけではない。
嫌がらせの類は一切なかった。
 
それでも私をやめたくさせるものが、私の高校には存在したのだと思う。